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エクセレント経営者に迫る|株式会社 阪村機械製作所

ボルトやナット、自動車部品、建築用ハイテンションボルトなど様々なパーツを成形する鍛造機械“フォーマー”のトップメーカーとして、「サカムラ」ブランドで信頼を築いてきた株式会社阪村機械製作所。創業者の経営理念を受け継ぎ、着実な事業運営に取り組んでおられる中野孝之会長に、経営で大切にされていることや、これからの成長戦略について伺いました。


顧客第一主義に徹し、パフォーマンスNo.1の塑性加工技術とサービスを追求する

エクセレント経営者に迫る|株式会社 阪村機械製作所
代表取締役会長
中野 孝之 氏

エクセレント経営者に迫る|株式会社 阪村機械製作所
会社概要
所在地  京都府久世郡久御山町下津屋富ノ城46
      TEL 0774-43-7000
設立   1959年3月(創業1947年)
従業員数 121名
資本金  3億円
年商   48億円(’22/6期)
事業内容 冷間フォーマー・温間フォーマー・熱間フォーマー、ロータリー式ねじ転造機、フォーマー部品、圧造金型、フォーマー関連機器
U R L   https://www.sakamura.org


EV化で変化する顧客ニーズに対応する

――――御社の主要製品である「フォーマー」とは、どのような機械ですか。

中野 フォーマーは金属加工機械で、少し専門的に言うと鍛造機械、つまりパンチとダイという金型で圧力を加えて金属を成形する機械の分類になります。フォーマーで生産する一番代表的な製品はボルト、ナットなどの鋲螺部品です。また、自動車の様々な部品の生産に利用されており、金属部品を生産する自動車部品メーカーさんのほとんどに当社のフォーマーを導入していただいています。その他の用途としては鉄骨を締結するために使われるTC(トルクシャー)ボルトがあります。大手鉄鋼メーカー傘下のボルトメーカーさんには必ずと言っていいほど、当社のフォーマーが入っています。

 これらは材料を常温のままで成形をおこなう冷間フォーマーの例です。ハイテンションナットやベアリングなど強度が必要なパーツは、素材を約1000度(ベアリング鋼は約1250度)以上に加熱をして成形します。それを熱間フォーマーと言いますが、この熱間フォーマーを製造しているのは日本では当社だけ、世界でも2社だけです。日本のベアリングメーカーさんはすべて当社の熱間フォーマーを使っていただいていますし、世界的にも多くのメーカーに当社の製品を使っていただいています。

――――自動車業界ではEV化の流れが加速していますが、顧客ニーズに変化はありますか。

中野  自動車メーカーのEVに向けた戦略は明確になっていますし、当社のお客様である部品メーカーさんもEV化に対応する巨額の投資を発表されるなど、流れは常に身近に感じています。EVでは部品の軽量化や成形の高度化が一層求められ、EV化に対応した部品を開発されるお客様が増えています。

 当社においてもEV化を見越した特徴のある機械を作らないといけません。そのために、EV化で需要が高まる精密部品やギヤ製品の加工について、新しい加工方法の研究を進めています。その成果の一つである「ヘリカルギヤ」は、独自開発した機械式油圧発生装置とサーボ駆動フォーマーを駆使して精密な左右対称の歯型を実現したもので、「日本塑性加工学会賞2021年度技術開発賞」を受賞しました。

 EV化で大切なのはスピード感をしっかり見ていくことだと思います。現状はエンジン車やハイブリッド車の生産も続いていますので、それらにも対応しながらEV化への準備を進めていきます。

――――製品特許・部品製法特許を合わせ百数十件の特許を登録されるなど、高い技術力を有しておられます。そうした技術力が御社の強みになるのでしょうか。

中野 技術力も当然大事ですが、一番の強みはお客様との関係性を強く保っていることだと思います。お客様のニーズを捉えるために営業が定期的に訪問してニーズや課題を引き出し、課題を解決していくソリューション提案を行う。営業・技術・製造が一体となって顧客ニーズに応えられる体制になっています。お客様がモノづくりで何か困りごとがあったら「ちょっと見に来て欲しい」と言われるような関係性を築いてきました。特許がたくさんあるのは、顧客第一主義の姿勢でお客様のニーズに応えてきた結果です。


「ナットの生産革命」と呼ばれるフォーマーを開発

――――1947年に線材加工機のメーカーとして創業された御社が、業容拡大の転機となったことは何でしょうか。

中野 サカムラの名が世に知られ、会社としての基盤ができたのは1965年に開発した「NP型3段ナットフォーマー」です。スクラップが少なく、高速生産が可能で価格の高い海外製のフォーマーに引けを取らない性能があったことでお客様に高く評価していただき、「ナットの生産革命」と言われました。このフォーマーの開発は当社にとっても、また日本のねじ業界にとっても大きな転機になったと思います。

 創業者(阪村芳一氏)は、戦前・戦中から自動機械を作りたいという思いを持って、大阪府立堺工業学校(現:大阪府立堺工科高等学校)に進学しました。戦後に当社を創業して以来、様々な機械を作ってきましたが、その中で行き着いたのがナットフォーマーです。以後、お客様のニーズに応えて様々なフォーマーを開発してきました。

――――1997年のSAKAMURA U.S.A.,INC. 設立や、ドイツのレディモ社との技術提携など、海外にも積極的に展開されています。海外にはいつから出られているのですか。

中野 1970年代の後半ぐらいから海外の展示会に出展しています。冷間鍛造は欧米メーカーが先駆者で、創業者はその本場に打って出ていきたいという思いをずっと持っていましたので、ドイツ、アメリカの展示会には積極的に出ていっていました。展示会でお客様とコンタクトして、欧米の名だたるパーツメーカーの工場を直に見ることは、新しい技術を学ぶ上で大いに役立ちましたし、輸出の拡大にもつながりました。 

 1980年代に入ると自動車メーカーの海外生産が始まり、当社のお客様である部品メーカーさんも海外に進出しましたので、当社も機械のメンテナンスサービスのための拠点が必要になり、それがSAKAMURA U.S.A., INC.設立のきっかけになりました。ドイツのレディモ社は1970年代に一世を風靡した機械メーカーの流れを汲む会社で、優れた技術を持っています。当社では技術提携で共同開発をするとともに、欧州での当社製品の営業活動や保守サービスを担当してもらっています。

 現在では海外向けの売上が全体の30 ~ 40%を占め、お客様は日系メーカーだけでなく、ローカルメーカーも多く、世界的な自動車部品メーカーとも取引があります。

PICK UP
顧客ニーズを取り込んで一品一様で開発・製造する冷間フォーマー、熱間フォーマーを中心に、その周辺機器も開発している。

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完成したフォーマーの全景。

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EV化を視野に入れて独自開発した加工方法で試作した「ヘリカルギヤ」は日本塑性加工学会賞 2021年度技術開発賞を受賞した。

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搬送中の製品位置や角度が安定する「カーブウエーブコンベア」。打痕傷防止ラインの一環として開発した(実用新案登録取得)。

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フォーマーから搬出された製品を取り出して箱詰めするSPロボット®(商標登録済み)。


創業者に同行して世界中をまわり経営の根幹を学ぶ

――――どのようなキャリアを積まれたのですか。

中野 入社したのは1978年です。ちょうど第2次オイルショックの時期で、思ったような就職先がなく、どうしようかと考えていた時に当社の求人を掲示板で見つけました。志望動機は出身の三重県に近いというぐらいでしたが、当社が大学の掲示板に求人を出したのは後にも先にもその年だけだったと後から聞きましたので、何かの縁があったのでしょう。

 入社後は設計部に配属され、図面を描いたり開発をするなど技術畑一筋で、当時社長であった創業者が思い付いた機械の図面を描くこともありました。設計部長に抜擢される頃には、社長のかばん持ちのような役目で国内外のお客様の訪問に同行し、様々なお客様を知り、世界の技術も勉強できました。当社の経営の根幹はお客様との関係性ですから、それを経験できたことは、後の社長としての仕事にとても役立ちました。

―――― 創業者(当時会長)から学ばれることは多かったでしょうか。

中野 創業者は次にどういう機械を作ろうとか、常に機械のことばかりを考えておられる方でした。ゴルフもしませんし、休日でも会社に出社していました。海外に行く飛行機の中でもレポートを書いたり、図面を描いたりしていました。自動機械を作ろうと志した時から変わらない情熱を持っておられ、それを実現する行動力もすごいものでした。

 技術畑で経理や法務に疎かった私が、社長としてどうにか仕事ができていたのは、カリスマ性があった創業者が会長として会社の基軸におられたからだと思います。しかし、会長が体調を崩され、会社にも出て来られなくなった時に、みんなを引っ張っていくには基軸となるものが必要です。それはやはり創業者がつくられた「サカムラの経営理念」や「サカムラ哲学」であると考え、それを基軸にした経営を進めてきました。

――――経営理念を基軸にした経営をどのように実践されていますか。

中野 週1回の幹部会で、経営理念を基にした行動指針を必ず唱和しています。そして、何かを判断する時、例えば、開発していた部品が出来上がってきたが、思ったような性能が出ないという時に、開発の担当者は「こういう風にしたら何とか使えるかもしれない」と思いがちです。しかし、経営理念に照らし「こんな製品をお客様が欲しがっているか」と考えたら、たとえそれが高額なものでも作り直す。妥協せずにダメなものはダメという判断になります。創業者は「ねじと心は緩むもの」とよく言われていましたが、心が緩んでしまわないよう「顧客第一主義に徹する」という「サカムラの経営理念」を判断の拠り所にしています。

――――御社を中心にした「サカムラグループ」は、どのような連携をされているのですか。

中野 創業者の「会社を細かく分けることで社員の数も細分化され、社内連絡から決定までが短時間で行えるようになり、スピードアップが図れる。組織を小さくすれば社員一人一人が経営者の視点を持ち、自分で考えるようになり、全体としての生産性が高まる」という考えから、分社化を進めてきました。現在11社のグループ内にフォーマーの製造・販売、冷間・熱間パーツの生産、金型の設計・製造、コンサルティング会社などがあり、それぞれの分野で成長を続けています。また、必要に応じて情報交換することでフォーマーのトータルアドバイザーとしての役割を担えることが強みとなっています。


PICK UP
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フォーマーを組立中の工場風景。

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ドイツで開催された展示会「wireショー」の出展風景。

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国内展示会「MF・TOKYO@東京ビッグサイト」の出展風景。

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2022年11月竣工予定の本社(完成パース)。


フォーマーを中心にその周辺機器も含めたソリューションを展開

――――本社に建設(2022年11月竣工)されている新事務所は、どのような狙いがありますか。

中野 2021年まで、登記上の本社は以前工場があった大阪市旭区でした。実質的な本社機能は以前より京都事業所に移っていたので、本店所在地も現在地に変更しました。そうした経緯もあって、これまでは部署ごとに別棟や別フロアに分かれて仕事をしていました。ですから、極端な例ではお客様から電話で問い合わせがあっても、別フロアの担当者に確認しないと分からないことがあると、即応できないことがありました。

 新事務所は全部署をワンフロアに集結させ、各部署がすぐに一体となれることでお客様対応のスピードアップを図ることを目的にしています。新事務所は「サカムラ哲学」の「Simple, Speed, Service(なにごとも原理原則をつかんでシンプル に考えること。まずやってみる。そのスピードが成功をもたらす。サービスは機械メーカーの使命である)」を体現する本社機能にしていきます。

――――今後の事業展開では、どのようなことに注力されていますか。

中野 当社は法人設立から63年の歴史で何百社というお客様があり、納めた機械の台数はその何十倍にもなり、お客様との強固な関係性が、当社の大きな財産です。お客様のモノづくりでのニーズや課題を、当社が解決していくソリューションの展開はフォーマーだけでなく、その周辺の機器にもあります。その一つが現在取り組んでいる「打痕傷防止ライン」です。これはフォーマーで生産した製品を「傷を付けずに箱詰めまで行えないか」というお客様のニーズにお応えするもので、搬送中の製品位置や角度が安定する「カーブウエーブコンベア」などを新たに開発しました。また、重いパーツを箱詰めする作業は、作業者の大きな負担になっており、人手不足で悩まれている工場では大きな課題となっていました。当社ではフォーマーから搬出された製品を取り出して箱詰めする専用のロボットも開発しています。創業者はフォーマーを作る以前に様々な機械を開発してきましたし、それ以降もお客様の要望があれば「サカムラがこれを作ったの?」と言われるような製品も作ってきました。フォーマーの周辺機器にも様々なニーズや課題がありますので、それらを解決できるトータルソリューションを目指していきます。

――――御社が投資育成会社の出資を受けられたのは1969年です。半世紀を超える付き合いとなっている投資育成会社のご感想をお聞かせください。

中野 創業者は「投資育成会社が認めてくれたことは、当社の経営にとって非常に大事なことだった」と折に触れて言っておられました。1969年当時は、工場を新設するなど当社にとって事業を拡大する大きな転機となった時期です。会社が大きく飛躍する足掛かりとして出資を受けたのだと思います。

 私自身は社長になってからのお付き合いになります。就任してすぐに会社の体制や組織を変えなければいけないという課題があり、その際、投資育成会社からのアドバイスにとても助けられました。経営方針などには干渉しないけれど、経営の実務や法的な手続きなどでは非常に頼りになる存在で、事あるごとに相談をさせてもらっています。

 年輪会には当社のお客様もたくさんおられ、トップ同士の親交を深める場としてとてもありがたく思っています。また、異業種の方との交流は、勉強の場にもなっています。

――――長時間にわたり、貴重なお話をありがとうございました。


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Profile
中野 孝之 氏
1956年三重県生まれ。1978年日本大学理工学部機械工学科卒業後、株式会社阪村機械製作所に入社。設計部に勤務する。1995年取締役就任を経て、1999年代表取締役社長、2022年代表取締役会長に就任、現在に至る。



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