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エクセレント経営者に迫る| 株式会社 中山ホールディングス

電気駆動を採用した新製品とIoT化で砕石・リサイクルプラントの新たな未来を拓く

創業115 年の歴史で培った信頼と技術力で砕石や建設廃材リサイクル、トンネル工事分野などにおいて多くのトップシェア製品を有する株式会社中山鉄工所。
近年においても電動自走式クラッシャ「Dendoman」シリーズがヒット商品になるなど、好業績が続いています。
設立以来続く無借金・黒字経営の考え方や、それを支える人材確保・育成などについて中山弘志社長に伺いました。
エクセレント経営者に迫る|  株式会社 中山ホールディングス

代表取締役
中山 弘志 氏

会社概要
所在地   佐賀県武雄市朝日町甘久2246-1
  TEL 0954-22-4171
設立     1964年(創業1908年)
従業員数 120名
資本金   8,650万円
年商    65億円
事業内容 •破砕機・選別機・製砂機・コンベヤなどの設計・製作
       •砕石プラント・リサイクルプラントの設計・製作
       •自走式リサイクル機械の設計・製作
       •土壌改良機の設計・製作
       •公害防止用機械の設計・製作
U R L   https://www.ncjpn.com

顧客ニーズに応える低燃費製品とIoT 化で、会社設立以来の受注を抱える

—— 御社の事業会社である中山鉄工所は、破砕機・選別機・製砂機など様々な製品を生産されています。どのような機械ですか。

中山 石を砕いて選別したり、混合したり、搬送するというのが、当社の一連の製品になります。それを鉱山で使えば鉱山機械に、砕石場で使えば砕石機械になります。さらに、コンクリートやアスファルトの再生工場で使えばリサイクル機械となります。

 目的で分けると、砕石機械は骨材、つまり道路の舗装やコンクリート構造物の骨格に使われる石を生産する機械です。リサイクル機械はコンクリートやアスファルトなどの建設廃材をリサイクルして、骨材に戻すための機械です。他にも汚染された土壌を洗って、セメントや薬剤を混ぜて改良するための土壌改良機械や、硬い岩盤を掘削するトンネル工事で石を砕いて運ぶ機械もあり、現在工事が進められているリニア中央新幹線のトンネル工事でも当社の機械が数多く採用されています。砕石以外の分野では、小川や湧水、用水路での発電が可能なコンパクトな小水力発電システムを開発・製造しており、九州各地に設置実績があります。

 当社は様々な顧客ニーズに合わせて機械の設計、製造からプラントデザイン・施工まで、一貫生産体制を確立しており、それが強みになっています。

—— 現在、会社設立以来の受注を抱えておられるとお聞きしましたが、近年の好業績の要因は何でしょうか。

中山 当社が独自に開発した「Dendoman(デンドマン)」シリーズがお客様に支持され、ヒット商品になっていることがその要因になっています。「Dendoman」はメインの破砕システムに電気駆動方式を採用した自走式の破砕選別機で、発電機やバッテリーを搭載し、自ら電力を作り出しながら動きます。エネルギー効率に優れ、油圧駆動方式のクラッシャに比べると3分の1の燃費で済むというのが特長です。

 従来、砕石場では固定式の大型プラントで骨材を生産してきました。砕石は山を削りながら生産していくので、固定式のプラントは砕石現場から離れていくことになり、ダンプトラックで石を運ぶ必要があります。自走式ならばプラント自体が移動できるのでトラックでの運搬が必要なくなります。脱炭素、CO2削減への要望が高まっていることから、固定式の大型プラントから自走式の小型プラントへの移行が進んでいます。

 そうした時代の流れの中で、ウクライナ危機による燃料費の高騰もあり、砕石やリサイクルのプラントをはじめ、トンネル工事などの多岐にわたる分野でエネルギー効率に優れた「Dendoman」の受注が増えており、それが好調な業績に結び付いています。

—— 御社は他のメーカーに先駆けて製品のIoT 化にも取り組まれています。それも好業績に結び付いているのでしょうか。

中山 当社では製品のメンテナンスやトラブルを未然に防ぐために、もう10年以上前からすべての製品でIoT化を進めてきました。現在では当社の機械やプラントはもちろんですが、お客様からご依頼があれば他社の機械やプラントでもIoT化のお手伝いをしており、売上にも貢献しています。機械は作っても電気関係はアウトソーシングしているメーカーがほとんどで、当社が電気関係をマネージメントすることで助かっているというメーカーも多く、当社のIoTが業界のプラットフォームになりつつあります。

 砕石業界では熟練者の高齢化などが課題になっています。当社ではIoT化とともにシステムを簡易化し、熟練者でなくてもオペレーションできるシステムを提案しています。IoT化で機械メーカー側がプラントのオペレーション状況を把握し、オペレーションを手助けすることで、経験の少ない若手オペレーターでも運営できるプラントを実現しています。

 また、機械をIoT管理することで、お客様との距離もより近くなります。当社では距離をさらに近づけるために、IoT管理をクラウドで統合したシステム「N-Global」を開発しています。これは、お客様の稼働状況を把握するだけでなく、お互いの顔を見ながらコミュニケーションできるという世界に類を見ないシステムになります。

PICK UP
破砕機・選別機・製砂機・土壌改良機・分級機など個々の機械の設計、製作から
砕石プラント・リサイクルプラントのプランニング、施工までの一貫生産体制を確立している。

エクセレント経営者に迫る|  株式会社 中山ホールディングス
リチウムイオンバッテリーを搭載し、シンプルな構造で生産性・経済性・メンテナンス性に優れた電動自走式クラッシャ。
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バッテリーを搭載した最新鋭機で、総重量157トンの世界最大級の新型自走式破砕機。
エクセレント経営者に迫る|  株式会社 中山ホールディングス
豊富な経験と実績を活かし、砕石プラントから建設廃材リサイクルプラントまで幅広くプランニングしている。

東京でリサイクル需要の獲得に奔走し、経営の視野を広げる

—— 御社は創業115年という長い歴史があります。事業はどのように変遷してきたのですか。

中山 当社は祖父(初代社長 中山寿八氏)がガス発動機・精麦機の製造工場として創業し、お客様の要望に応えて様々な機械を作ってきました。戦後に会社を継いだ父(二代目社長 中山安弘氏)が砕石機械の製造に特化して株式会社に改組しました。会社を設立した時代は高度経済成長の真っただ中で骨材の需要が右肩上がりで増加し、クラッシャメーカーは各県に1社は存在するほど多かったと言います。しかし、プラントが大型化するにつれて大手資本のプラントメーカーが参入し、売上が伸び悩んだ時代がありました。当社は1970年代に海外輸出に活路を見出し生き残ってきましたが、それも円高で行き詰ってきました。私が入社したのは1984年で、その頃は業績が伸び悩んでいた時代でした。しかし、徐々に伸びてきていた建設廃材のリサイクルの分野にいち早く着目し、事業の新たな柱として成長させてきたことが現在の事業につながっています。

—— 1964年の株式会社に改組されて以降、無借金、黒字経営を続けておられます。時代の変化のなかでも、着実な経営を続けてこられた背景にはどのような考え方があるのですか。

中山 父がよく言っていたのは「雑魚は浅瀬で泳げ」ということ。つまり、大きな飛躍を望まず、身の丈に合った投資で経営を続けることが会社の永続につながるということです。また、会社の財産は人であり、人を大事にして育てることが社是になっています。ですから、私もその教えを守って設備に巨額の投資をするよりも、人への投資をより重要視してきました。

—— 社長に就任されるまで、どのような経験が経営者として役に立ちましたか。

中山 私が入社したのは28歳の時で、それ以前はシステムエンジニアをしていました。入社して最初の仕事は電算化で、経理システムを立ち上げて、東京営業所(現東京支店)に赴任しました。当時、建設現場で出る廃棄物の処理が課題になっていて、特に道路工事でのアスファルトのリサイクル需要が伸びていました。当初のリサイクルは解体業者さんが担っていましたが、建設リサイクル法の整備など行政面でもリサイクル推進への気運が高まるとともに、大手の道路舗装会社さんも本格的にリサイクルに取り組むようになってきました。東京営業所ではリサイクル需要の獲得に注力することで売上を2倍3倍と伸ばしていき、主要な道路舗装会社さんのリサイクルプラントに参入することでトップシェアを獲得していきました。

 結局、東京には10年以上いることになりましたが、その間、お客様が望む提案とは何か、期待以上の機械やプラントを提供するにはどうすれば良いかを学びました。佐賀を離れて東京でビジネスの最前線を経験できたことで、経営者としての視野も広がったと思います。

PICK UP

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東京で開催される「NEW環境展」を始め、国内外の展示会に積極的に出展し、毎年新しい機械を発表している。

エクセレント経営者に迫る|  株式会社 中山ホールディングス
中山鉄工所の本社および工場の全景。

人材の確保と育成のためにユニークな施策を実施

—— 社是にもなっている人材の育成はどのような工夫をされていますか。

中山 新入社員に対しては、プログラムをしっかりと組んだ基礎教育をするとともに、与えられたテーマから計画、設計、材料手配、製作までをチームで行う「作品製作」を実施しています。当社の工場の屋根に設置している太陽光発電装置もその「作品製作」の一つです。

東日本大震災後の電力不足で当社も操業を短縮せざるを得なかったことを教訓に、自社で電気を作らなければいけないと考えました。当時、日本で540kwの太陽光発電を屋根につけていた例はなく、業者からは屋根の補強などで巨額の費用が掛かるといわれていました。それなら、自分たちで設置の方法を考えようと、小水力発電で発電の知識を持つ社員が指導者となって新入社員に企画させました。いろいろ試行錯誤はありましたが、結果的には業者見積の半額以下の費用で設置できました。コロナ禍で展示会ができない時期にはWEB展示会を企画したりなど、毎年様々なテーマで「作品製作」を実施し、新入社員はそれらを通して社内の業務プロセスを学んでいます。

 また、当社では30年以上前から環境展などの展示会に出展し、展示会のために毎年新しい機械を作っていこうと決めています。展示会で会社の名を売ることもできるし、新しい機械を作るというモチベーションにもなり、開発技術者の人材育成になっています。他にも、父の代から続けているものに「情報提案制度」や「期末賞与配分制度」があります。「情報提案制度」では身近な業務の改善や新製品のアイデアを自ら発言していくという機運や風土が生まれています。「期末賞与配分制度」は期初に設けた利益目標額から上回った額の3割を賞与として配分するという制度で、期初の目標を上回ろうというやる気を刺激しています。

—— 人材の獲得でもユニークな取り組みをされているということですが、どのようなものですか。

中山 インド工科大との産学連携をきっかけに2015年から海外インターン生の受け入れを始め、今ではインドやインドネシアなどの優秀なエンジニアが社員として活躍してくれています。もう一つは、大学共同プロジェクト「deラボ」です。大学の研究室に当社が3DCADや加工機、3Dプリンタなどの機材を設置し、学生がアルバイトとしてIoT技術・ものづくりを通してお金を稼ぎつつ、実業務に関わり学んでいくものです。現在、国内の電気通信大学と佐賀大学、インドネシアのバンドン工科大の3校で約60名の学生が「deラボ」に参加しています。「de ラボ」で当社に興味を持った優秀な学生が入社してくれればもちろんそれも大きなメリットですが、入社しなくても大学・大学院の6年間、当社の技術開発の戦力として働いてくれます。柔軟なアイデアを提供してくれる若い人材が常にいることは、当社にとって大きなプラスになっています。

高度人材の人脈を活用した新たなビジネスを展開

—— 2022年に更なる発展を目指し、(株)中山ホールディングスと(株)中山鉄工所に分社されました。NAKAYAMAグループの今後の経営ビジョンは、どのように考えられていますか。

中山 分社した狙いは、ビジネスの範囲を拡大していくことです。それには海外事業拡大と高度人材の活用がキーワードになります。

 海外事業は、当社のシンガポール現地法人(N.C.S.S.)の社長である息子(中山ホールディングス副社長 中山惠斗氏)が中心となって担います。私が東京で視野を広げたように海外からより広い視野で経営をしてくれれば、もっと大きな事業ができると期待しています。もちろん、事業会社である中山鉄工所も佐賀県武雄市を拠点にして従業員を守っていかなければなりませんし、事業をどんどん伸ばしていかなければなりません。

 「deラボ」や海外インターン生の受け入れを継続してきたことで、世界中から当社に来て働いたという人や、もしくは大学の時に中山鉄工所を知ったという人が、どんどん増えています。高度な知識や技術を持った人たちが当社で培った技術をベースに起業することも増えてくるでしょう。そこに当社が関わることができれば、新しいビジネスにつながるはずです。私はそのチャンスを活かした、新たなビジネスの創造に力を入れていきたいと考えています。

—— 最後に投資育成会社のご感想をお聞かせください。

中山 父の代の1989年に出資を受けました。当時私は東京で仕事をしていたので、詳しいことはわかりませんが、私へのスムーズな経営承継のために父が決断したのだと思います。投資育成会社が安定株主として入っていることは経営者としてとても心強いものがあります。今回のホールディングス化もいろいろな相談にのっていただき、とても助かりました。投資育成会社は経営のことをオープンに話せる頼りになるパートナーだと、改めて感じました。また、年輪会の交流も同じ悩みを持つ経営者が気軽に話せる場として、とても意義があることだと思います。

長時間にわたり、貴重なお話をありがとうございました。

Profile
中山 弘志 氏
エクセレント経営者に迫る|  株式会社 中山ホールディングス
1956年佐賀県生まれ。システム会社でのシステムエンジニア勤務を経て1984年株式会社中山鉄工所に入社し、営業部マーケティング担当となる。1988年取締役に就任し、東京営業所所長に配属。1993年常務取締役、1995年専務取締役を経て1996年代表取締役社長に就任。2022年株式会社中山ホールディングス代表取締役に就任、現在に至る。








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