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エクセレント経営者に迫る|株式会社 日本エー・エム・シー

福井県の2工場、中国、タイ、フィリピンの4カ国5拠点で月370 万個を生産し、建設機械向け高圧配管用金属継手の市場で日本一のシェアを獲得している株式会社日本エー・エム・シー。
一代で事業を築き上げた創業者の跡を継ぎさらなるグローバル化と業容拡大を実現された山口康生社長に、2代目社長としての経営戦略を伺いました。

「品質は宝である」をスローガンに
世界一の継手メーカーを目指す



エクセレント経営者に迫る|株式会社 日本エー・エム・シー
株式会社 日本エー・エム・シー
代表取締役社長
山口 康生氏


所在地   福井県福井市市波町13-8
     TEL 0776-96-4631
創立   1963年2月
従業員数  201名
資本金   1億8,550万円
年商   73億円(’19/3期) 
事業内容 高圧配管用継手の製造・販売
U R L    https://www.j-amc.co.jp

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本社事務所


顧客の課題に真摯に向き合い
「多品種・小ロット・短納期」を実現


――御社は「高圧配管用継手」で国内シェアナンバーワンを誇っておられます。生産されている継手はどのようなものですか。

山口 当社が生産している「高圧配管用継手」は、油圧システムに使われる継手です。油圧はさまざまな機械や装置の動力源や可動部分に使われていますが、その中でも最も多く継手が使われるのが建設機械です。例えば、ショベルカーでは1台で約35種類120個の継手が使われています。機械によって、また使われる部位によって継手の種類は異なり、当社で設計図面を有しているのは3万点以上になり、月に約10,000種類の継手を生産しています。技術的にも1平方センチあたり数百キログラムの油圧に耐えるための高度な製造ノウハウが必要です。
 当社は、国内外の主要建設機械メーカー、農機メーカー、工作機械メーカーなどと取引させていただいています。特に世界的な建設機械のトップメーカーであるコマツさん(株式会社小松製作所)のショベルカーやダンプカーなどの主要機械に数多く採用いただいていることから、国内ナンバーワンのシェアを獲得しています。

—— 設立当初から建設機械向け継手の専門メーカーとして歩まれてきたのでしょうか。


山口 当社の設立は、大学を出てオートバイメーカーに就職した父(山口英生氏)が「くい込み継手」に着目して独立したことが始まりです。当初の製品は船舶向けの継手が主で、大手造船メーカーに納めていました。業績は順調に伸びていきましたが、1973年のオイルショックで造船業界はたいへん大きな打撃を受けました。それに代わる市場として開拓してきたのが建設機械分野です。それまで建設機械用の継手はさまざまなパーツの一つとして考えられ、用途別に機能を正しく理解し専門的に生産するメーカーはありませんでした。当社は造船メーカーで鍛えられた品質とノウハウを有しており、専門メーカーとしてのアドバンテージがありました。

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ホース接続用継手

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溶接用継手

—— 顧客の信頼を獲得できた専門メーカーとしての強みとは何でしょうか。

山口 お客様の課題に真摯に向き合う、モノづくりに対する姿勢ではないでしょうか。例えば、生産方式では、大量生産に対応する分業による「まとめ生産(だんご生産)」から、1976年に「1個流し生産(セル方式)を他社に先駆けて導入しました。その2年後にはNC旋盤を導入するなど、最新設備も積極的に取り入れました。それとともに機械の非稼働時間の短縮、特に段取り時間の短縮に注力し、ノウハウを積み重ね効率化に取り組んできました。出荷・デリバリーについても、15年前から自動倉庫を導入し、お客様が求められる「多品種・小ロット・短納期」に対応してきました。
 それに加えて、専門メーカーとしてコスト・品質面等でお客様にメリットのある提案を積極的に行っていることも評価していただいていると思います。

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くい込み継手


—— お客様への提案としては、具体的にはどのようなものがありますか。

山口 代表的なものでは「類似品検索システム」があります。これは取引先が増え、取り扱い品種も急増した1986年に自社で開発しました。このシステムによって、お客様から見積もりや引合いあった際に、注文と同じ形状の継手、もしくは代用できそうな形状の近い継手を検索して、お客様に提案できるようになりました。お客様にとっては、新しい機械でも代用が可能な継手があれば図面を起こす手間が省けますし、開発も短縮できます。今ではお客様も当社が類似品をすぐに検索できることをよくご存知なので、「これの同等品はありますか」と設計の前段階で問い合わせが来ています。


“メイドインAMC ”を基本に
海外でのモノづくりに取り組む


—— 生産拠点として中国に着目され、1997 年に合弁で現地法人(江蘇省南通市)を設立されました。業界に先駆けての海外進出ですが、これは顧客からの要請があったのでしょうか。


山口 いえ、お客様からの要請ではなく、1995 年の超円高をきっかけに当社の自主判断で進出しました。進出に際して、父と意見が異なったのは合弁会社への出資比率です。私は経営の主導権を握るためにも51%の出資にするべきだと思っていましたが、父は「リスクもあることだし、パートナーが望んでいるなら49%でもかまわない」という考えでした。結局、自社がマジョリティを取らないという、中国に進出する当時の日本企業としては珍しい形態でスタートしました。しかし、パートナーが「自分の会社」として責任を持って経営することで、いろいろ困難な時期もありましたが、それらを乗り越えて当社グループ最大の生産拠点として成長してきました。日本から派遣された雇われの経営では難しかったかもしれません。

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中国・南通AMC


—— 社長に就任されてからは2006年にタイに、2013 年にフィリピンに現地法人を設立されています。これはどのような判断があったのですか。

山口 タイへの進出は、中国で発生した2005年の反日デモがきっかけです。当社の現地法人に影響はなかったのですが、海外生産を中国1国だけに頼るリスクを感じ、いわゆる「チャイナプラスワン」としてタイに100%出資の現地法人を設立しました。フィリピンへの進出もリスク分散の一環で、旅行を兼ねて訪れた際に現地の方から「フィリピンの人は国に仕事がないから出稼ぎに行く。こちらで仕事を見つけたら、辞めずに一生懸命仕事をする」という話を聞いたことから調査を始めました。中国とタイでは社員の定着に苦労していましたから、その点でフィリピンに可能性を感じ進出しました。
 現在、タイはリーマンショックの荒波を乗り越え、トラックの油圧ブレーキに使われる継手などの自動車用部品が順調に伸びており、東南アジア市場を開拓しています。フィリピンは、生産規模はまだ大きくありませんが、コスト競争力に優れた生産拠点として安定した実績をあげています。

—— 御社の海外展開が成功しているポイントについて教えてくだい。

山口 どうしたら成功するかは結果論でしかないのですが、中国、タイでは進出する前に日本に留学していた学生を採用して準備をしました。フィリピンは残念ながら日本への留学生が少なく採用できませんでしたが、タイの現地法人ではその時に採用した留学生が社長になっています。中国・タイでは現地の人間が社長として経営に責任を持つことが強みになっていると思います。もう一つは品質に妥協しないこと。当社は「品質は最大の宝である」を社是にして、どこで造っても同じ品質を保証するモノづくりに取り組んできました。だから、メイドインチャイナやメイドインタイランドではなく「メイドインAMC 」ですと自信を持ってお客様に言っています。


企業価値向上に向けて、ダイバーシティ推進・働き方改革・健康経営に取り組む

—— 2001 年に社長に就任されました。創業者の後を受けて、どのような経営をしていこうと思われましたか。


山口 父は創業者として事業を築いてきたカリスマ的な社長でした。それに対して私は、淡々と経営してきたと自覚しています。父の時代は売上が右肩上がりの時代でしたが、私が就任した2001年は建設機械業界の業績が最も低迷していた時期です。時代背景の違いもあり、意見が衝突することもありました。しかし、意見が異なっても最終的には私の結論を支持してくれました。そこは父にとても感謝しています。
 私は大学で情報処理工学を学び、最初の就職もシステムエンジニアでした。ITを活用した情報化による業務の革新には、社長に就任する以前の1999年にERPシステム(基幹系情報システム)を導入するなど会社の情報化を推進し、社長に就任してからは時代に合わない制度や取引を見直しました。例えば、給与の男女間の差や家族手当、住宅手当、過去の経緯から赤字で引き受けている仕事などは順次廃止していきました。合理的に説明できないこと、根拠のないものは廃止して、公平公正な経営を進めたいというのがベースにあったと思います。

—— 御社が近年注力されているダイバーシティ推進・働き方改革・健康経営への取り組みは、その延長線上にあるのですね。

山口 自社の技術力と生産能力を向上させ、世界一の継手メーカーを目指すためには、企業活動の基礎となる組織の強化を欠くことはできません。私はもともと、仕事をするうえで性別や国籍は関係ないと考えていましたし、雇用環境の変化に対応して女性や外国人の積極的な雇用を進めてきました。さらに、女性社員の育児休業完全取得はもとより男性社員の育児休業取得促進、残業時間の低減によるワーク・ライフ・バランスの実現など、強くなった組織でしか達成できないテーマに取り組んでいます。おかげさまで、国や福井県などから「はばたく中小企業・小規模事業者300社(2017年度)」「健康経営優良法人2018・2019(中小規模法人部門)」「くるみん認定」「子育てモデル企業」などの表彰や認定をいただき、福井県のホームページ「ふくいの働きやすい企業ガイド」で、製造業では唯一『5つ星企業』として掲載されました。職場環境の改善と共に、企業としての大きなアピールにもなっています。

—— IT 関連でも、IoT を活用した生産管理システムやAI技術を活用したものづくり、RPA(ロボットによる業務自動化)の導入など、最先端の技術を取り入れておられます。

山口 AIはサポイン事業( 戦略的基盤技術高度化支援事業)で、福井大学と共同開発しています。熟練工に頼っていた継手の内面に発生するバリ検査を画像認識AIとロボットを活用して自動化するシステムの開発です。IT 技術の導入は自動化による人手不足の解消、生産性の向上を目指していますが、最先端の技術に取り組むことでトップクラスの優秀な人材の採用という副次的な効果もありました。AIの中心になってくれている担当者は、中国の難関大学からアメリカの大学院に留学した経験を持っていて、通信機器大手のHUAWEI(ファーウェイ)と競合して獲得できた人材です。



国内・海外に関係なく対等に成長する
グローバル企業を目指していく


—— 2016 年に永平寺工場を設立されました。グローバル生産を進めるなかで国内の新工場はどのような役割を担うのですか。

山口 中国に進出して以来、増産のための投資は海外に振り向け、国内は老朽化した設備の更新だけでした。国内と海外で何に差があるのかと言えば人件費です。自動化すれば、人件費の差は吸収できます。それにトライするには、大型の機械を一度に何台も入れなければなりませんが、本社工場にはそのスペースがありませんので、新しい工場を建てたということです。従来2、3 台の機械を1 人で見ることが標準でしたが、永平寺工場では11台の機械を2 人で見ています。人件費は約3 分の1になりますから、中国とも勝負できます。輸送費など国内生産のメリットを活かして多品種小ロット品を中心に生産し、ロボットラインの導入などでコストでも海外現地法人に勝てる生産力を実現しています。

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永平寺工場・ロボット自動ライン


—— 事業の今後の展望はどのように描いておられますか。

山口 当社が成長する上で、建設機械の高圧配管継手で世界一のシェアを獲得するというグローバルニッチは正しい戦略でした。しかし、将来を考えるとやはりもう一つの柱を育てていくことが必要だと思っています。まだ具体化はしていませんが、モノづくりへの真摯な取り組みを続けながら、新たな柱を育てる方向性を示していきたいと思っています。
 もう一つは真のグローバル企業への挑戦です。中国の現地法人を設立した20 年以上前、私は「同じ製品を造るなら、海外現地法人であろうが日本の会社であろうが、社員は同じ給与でなければおかしい」と言いました。その時は誰も相手にしてくれませんでした。当時、中国と日本では10 倍程度の給与の差がありましたが、今は2 倍程度になっています。10 年後、20 年後にはその差はなくなっているかもしれません。そうしたことも念頭に置きながら、日本も海外もAMCグループとして切磋琢磨しながら発展していける企業グループを目指していきたいと思っています。

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タイ・バンコクAMC

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フィリピン・マニラAMC

—— 最後に、投資育成会社のご感想などをお聞かせください。


山口 2009 年に出資してもらいました。話があった時、会長であった父は「投資育成会社から出資を受けることは、中小企業としてのステータスだ」と積極的に進めました。リーマンショック後の業績が厳しい時期に出資を受けたことで、信用創出と言うと少しオーバーかもしれませんが、対外的にしっかりした会社だと認識をしていただけたと思います。大阪で開催される年輪会のほか、福井では年2回「福井年輪会」が開催されています。2回のうち1回は業績報告会でそれぞれ自社の業績について話をします。異業種の、しかも内部の具体的な話が聴ける機会で、経営者として非常に勉強になっています。


長時間にわたり、貴重なお話をありがとうございました。



「品質は最大の宝である」を社是に、どこで造っても同じ品質を保証するモノづくりに取り組んできました。だから、メイドインチャイナやメイドインタイランドではなく「メイドインAMC」ですと、自信を持ってお客様に言っています。



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P r o f i l e
1957年東京都生まれ。1980年成蹊大学工学部を卒業後、 株式会社シーイーシーに入社。1986年株式会社日本エー・エム・シーに入社。東京本社(当時)、大阪営業所で営業職を経験した後、取締役に就任。代表取締役副社長を経て、2001年代表取締役社長に就任し、現在に至る。



エクセレント経営者に迫る|株式会社 日本エー・エム・シー
高品質の証「LL」マーク「高圧配管用継手」の専門メーカーとして、多種多様な製品を世界に供給している。すべての製品に「LL」マーク。「Leak Less」(漏れない)が自信の証として刻印されている。


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