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エクセレント経営者に迫る| 日本振興株式会社

道路・河川・ダムなど大規模インフラ整備事業において、工事発注者側である国の各省庁や地方自治体を支援する「発注者支援業務」。日本振興株式会社は、その業務のリーディングカンパニーとして建設コンサルタント業界で揺るぎない地位を確立しています。2015年の社長就任以来、右肩上がりの成長を実現している経営手腕や今後の展望について、伊達多聞社長に伺いました。

公共事業の「発注支援業務」を中心に社会にならなくてはならない企業、
必要とされる企業を目指す


エクセレント経営者に迫る| 日本振興株式会社
代表取締役社長
伊達 多聞氏


エクセレント経営者に迫る| 日本振興株式会社

本店


会社概要
所在地   大阪府泉南市りんくう南浜3-2
TEL     072-484-5200
創業    1977年3月
従業員数  1021名
資本金   1億円
年商    131億円(’20/4期) 
事業内容  建設コンサルタント
U R L    https://www.nihon-shinko.com

エクセレント経営者に迫る| 日本振興株式会社
本店内1Fアトリウム


「発注者支援業務」の草分けとして全国に事業を展開


――――御社は「発注者支援業務」を主体とした建設コンサルタントとして、全国の公共工事に携わっておられます。「発注者支援業務」とは、どのような仕事ですか。

伊達 「発注者支援業務」は、道路・河川・ダムなどの公共事業の発注者である国や地方公共団体への技術的な支援を行う業務です。公共事業は調査・計画・設計段階から発注・工事・維持管理の各段階で様々な業務があります。例えば公共事業を実施するのに必要な基礎資料の収集や住民への説明資料の作成、事業費の算出、工事が始まればその工程管理や品質管理、完成後の施設を適切に運営するための管理業務もあります。ダムの管理業務では、ダム本体と貯水池や関連施設などに関する監視、データ整理、資料作成、情報連絡などの業務があります。

 仕事は、実際の現場で作業することも多く、発注者(官公庁等)と設計コンサルタント、建設会社の間に立って調整を図るなど、工事のスムーズな進捗と完了を支援するための重要な役割を担っています。

――――「発注者支援業務」で、規模・売上ともにリーディングカンパニーとなっている御社の強みとは何でしょうか。

伊達 当社は創業時から「発注者支援業務」に特化してきましたので、国土交通省をはじめとしたお客様に日本振興の知名度が浸透していることと、他社よりも多くの技術ノウハウがあることが強みとして挙げられます。仕事は入札で決まりますが、近年は、入札金額以外にも、同種の工事経験や必要資格の有無といった担当する責任者の経歴や、仕事をする上で何に気を付けるか、どのように効率化を図るかなどの技術提案を加えた総合評価で決定されます。当社は経験豊富な人員と、これまで蓄積したノウハウに基づいた提案に高い評価をいただいており、各方面での受注につながっています。

――――大手の建設コンサルタントと競合しないのでしょうか。

伊達 「発注者支援業務」は、その工事を請け負う設計業者、施工業者は利益の相反となるため携われません。設計をメイン業務にしている建設コンサルタントは「発注者支援業務」を落札すると、原則設計業務には入札できなくなるため、その点では棲み分けができています。ただ、「発注者支援業務」という仕事の重要性は理解されているので、将来的には競合の可能性はあると考えています。

 現時点で競合するのは地元密着型の企業がほとんどで、当社のように北海道から沖縄まで全国展開している企業は少数です。公共事業は地域よって独自の事情があり、同じ条件はありません。例えば河川の改修工事では、これまでの治水工事の流れなど、その地域の特性を知っていないと良い提案はできません。それだけに、全国展開するとなると相当な時間と労力を要すると思います。当社は、創業から全国各地で仕事をしてきましたので、他社よりは様々な部分で各地域の事情に精通しています。それを技術提案書に記載できる点も強みになっています。

一兵卒として鍛えられた経験が現場主義の原点になった


――――どのような経緯で1977年に会社を設立されたのでしょうか。

伊達 設立のきっかけは、1975年と翌年に高知県で発生した台風災害の復旧事業です。当時、父である先代社長(伊達徹氏)は土木技術者として工事に携わっていました。その時に国や県の職員の方々が、災害復旧という特殊な環境で仕事量の多さに疲弊しているのを目の当たりにして、発注者である行政側の負担を少しでも減らすため、作業の一部を代替するなど何かお手伝いができないかと思い、それをカタチにしたのが1977年の当社設立です。当初は「注者支援業務」という名称もなく、仕事もまったく浸透していませんでした。黒子として表舞台に出ることはなかったのですが、2006年に国土交通省で「発注者支援業務」の必要性と重要性が認められました。大々的に業務となったことで、当社は事業転換ができ、大きな発展の契機となりました。

――――伊達社長は事業の転換期の2006年に入社されました。会社を継ぐことはいつ頃から決めておられたのですか。

伊達 私が大学を卒業して社会人になる時期は、建設業界はどの企業も厳しい経営環境でしたので、私は照明器具メーカーに就職して東京で営業をしていました。東京で父とあった時も入社を積極的に勧めてくることはなかったのですが、2005年くらいから少しずつ会社の話をするようになり、話を聞くうちに私も父と仕事がしたいと思い、入社を決意しました。今思えば、父は2006年の外部環境の変化を見越していて、結果的に父の思い描いたタイミングで入社したのではないかと思います。

――――入社から社長に就任されるまでのキャリアで、どのような経験が経営者として役に立っていますか。

伊達 最初に配属された財務・経理部では右も左も分からず苦労しました。その後、支店勤務や経営企画室などで経験を積みました。経営者として役立った経験はその下積み時代です。一兵卒として入社し、先輩が社長の息子として特別扱いすることなく、厳しく指導してくれたことで、現場の目線が鍛えられました。各部署とも3年ほどと期間は長くはなかったですが、現場が一番大切で、現場主義を徹底することを学べたことは大きな財産となりました。

――――先代の急逝により、38歳で社長に就任されました。どのような決意を持って臨まれましたか。


伊達 急な出来事で引き継ぎの準備をしておらず、社長就任の年はただひたすら駆け回りました。現場の社員とお客様に顔を覚えてもらうことが最初の仕事で、200か所ほどある全国の拠点と現場を1年掛けて回りました。どの現場でも「若い社長がやってきたな」と驚いたと思いますが、社長が代わってだめになったと言われないよう、社員一丸となって過去最高の業績を達成しようと伝えました。

 また幹部社員には、間違っていることは間違っていると発言するようにお願いしました。経験がないので先代のような判断や決断はできませんが、いろいろな人の話を聞いて、材料を集めてから判断することを習慣として心掛けました。そのためにも、幹部社員には忌憚のない意見を言ってもらうことが大切だと思ったからです。

 社員全員が奮起したお陰で、その年は過去最高の業績を達成できたことにとても感謝しています。


PICK UP
創業以来、ダム、河川、道路、橋梁、農地等の「発注者支援業務」に携わりその実績は全国に及ぶ。


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八ッ場ダム(群馬県)


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長安口ダム(徳島県) 


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長陽大橋(熊本県)


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名四蒲郡バイパス(愛知県)



持続可能な組織づくりをテーマとした中期経営計画を策定


――――社長就任後、力を入れて取り組んでおられることは何でしょうか。


伊達 社長になって注力してきたのは、採用や教育など人材育成制度の拡充です。業務内容が分かりにくい会社なので、採用は大学訪問や就活イベントに積極的に参加し、採用ツールを充実させるなど能動的な活動に変えてきました。

 研修制度は、従来は体系立てて人を育てる環境ではありませんでした。特に技術職は習うよりも慣れろという考え方が根強く、現場に任せていたのが実情でした。しかし、現場任せだけでは人によってばらつきが出ます。本店で6カ月間、社会人と技術者の基礎となるしっかりとした研修を行ったうえで、OJTリーダーに預けてある程度まで徒弟制度で育てる仕組みにしました。OJTリーダーはコーチングなどの研修を受けたものが担当します。さらに、若手から中堅社員まで学べる環境を再構築し、フォローアップしていく仕組みづくりを計画的に整備しています。

――――中期経営計画を策定された目的は何ですか。

伊達 中期経営計画は私が経営企画室にいた時に取り組みを始めました。2020年度に作成した中期経営計画のテーマは、将来に種を蒔くための持続可能な組織づくりです。先ほどお話した採用の拡充、教育する環境づくりに、新規事業の立ち上げが3本柱になっています。売上や利益の目標は必要最低限のコミットにして、3本柱に関連する採用人数や新規事業の企画提案数などをK P I(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)として設定しました。

――――これまでの取り組みで、成果として感じておられるのはどんな点でしょうか。

伊達 採用の応募者数は大幅に増え、離職率も同業他社に比べると低い状況で推移しています。継続して改善していかなければなりませんが、会社に対する満足度は他社に比べ高い状況になっていると思っています。

 あと、数値では測れませんが、以前に比べ予定調和で終わる会議は少なくなっています。それはファシリテーション型の会議に取り組んできて、ホワイトボードなどのツールを活用し、手と頭を使ってみんなで議論する短時間の会議にするよう改善してきたことが、成果として結びつつあるように感じています。

新規事業やPFI事業など新たな事業形態にも取り組む


――――社長就任以来、好業績を続けておられます。就任以来の6年間をどのように評価されていますか。

伊達 近年業績が伸びている大きな要因は、国土強靱化に伴う公共事業の需要が高まっていることと、業界の技術者数の減少です。土木建設業の人材不足は厳しさを増しており、これは民間だけでなく、国や県の職員も同じ状況です。災害対策や復旧で、公共事業の需要が高まる一方、マンパワーが足りないという状況の中で、我々のような支援をする人員がいないと事業が進まない状況が続いています。

 社長就任後の6年間はそうした事業環境で好調な業績が続いていますが、経営者としての評価は、10年が一つの区切りだと考えています。10年間、今のような業績の状況を維持出来たら、一人前の社長として胸を張れるかもしれませんが、今はまだまだ半人前だと思っており、危機感の方が強いですね。

――――今後の課題や事業展望を教えてください。


伊達 現在当社の主要取引先は国交省など国の機関ですが、都道府県や市町村など、困っている公共機関は多数あります。地域に根差した事業活動をしないと持続可能な会社にならないと考えていますので、それぞれの地域で活動されている会社と提携するなど、地方の公共事業における技術的支援の幅を広げていきたいと思います。

 持続可能な会社となるためのもう一つのキーワードである新規事業については、新しく立ち上げた専任の部署で、現在の事業の枠にこだわらず異業種の企業間連携やM&Aを含めた幅広い事業を企画立案し、実現に向けた取り組みを行っています。

 さらに、高速道路やダムなど公共インフラで民間の資金や経営能力、技術的能力を活用するPFI(Private Finance Initiative)事業が進展しています。そこでは当社のこれまでの実績や人材が評価され、大手のゼネコンなどから一緒にやりませんかとお声掛けしてもらっています。そうした新たな事業形態への取り組みも同時に進めています。

 父がこの日本振興を設立したのは、ちょうど私が生まれた年です。人生100年時代とは言え100歳まで社長を続けることはないと思いますが、100年企業を目指して、そのための土台づくりを担っていきたいと思っています。


PICK UP
本店と6支店・37事務所を拠点に、公共事業などの調査・計画・設計・発注・工事・維持・管理の各段階で、事業者(発注者)を支援するための技術サービスを提供する。


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事業監理業務


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各種事業の調査・設計


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ドローン研修


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測量研修

――――最後に、2014年に出資を受けた投資育成会社のご感想をお聞かせください。


伊達 経営承継に無関心だった父が実行してくれた唯一の効果的な施策が、投資育成会社から出資を受けることでした。新社長として初めて挨拶に伺った際に、投資育成会社の人から「新社長として自由に手腕を発揮してください」と言ってもらい、非常に元気づけられました。今後も新規事業の立ち上げなどでアドバイスや情報の提供を期待しています。

――――長時間にわたり、貴重なお話をありがとうございました。



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Profile
伊達 多聞 氏
1977年生まれ、大分県出身。2002年立命館大学経済学部卒業後、照明器具メーカーに入社。2006年日本振興株式会社入社。経営企画室、業務統括本部部長を経て、2015年代表取締役社長に就任し現在に至る。


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