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エクセレント経営者に迫る|株式会社日本植生グループ本社

河川や土手の緑化など環境保全・緑化事業でトップクラスのシェアを誇る日本植生株式会社をはじめ、傘下に13社の事業会社を擁する株式会社日本植生グループ本社。
創業者の経営理念を大切に受け継ぎながら、M&Aによる事業の多角化とグループの業容拡大を実現してこられた柴田和正社長に、成長の礎になっている理念やM&A 戦略についてお話しいただきました。

「不変の理念」に基づいた
  「可変の経営」で雇用を守り、
 国家社会に貢献する


エクセレント経営者に迫る|株式会社日本植生グループ本社
株式会社日本植生グループ本社
代表取締役社長
柴田 和正氏

所在地  岡山県津山市高尾573-1
       TEL 0868-28-5522
設立    1981年1月
従業員数 710名(グループ連結)
資本金  1億円
年商    192億円(’18/3期) (グループ連結)
事業内容 環境緑化製品・環境保全工法・スポーツ施設の開発・製造・設計・施工、繊維ロープ製品・産業資材の製造・販売、農業資材の販売、農産物の販売、フットサル場・ゴルフ場の運営など
URL  http://www.nisshoku-group.co.jp

エクセレント経営者に迫る|株式会社日本植生グループ本社
本社


創業者は先見性のある
アイデアマン


—— 御社の創業者の人生と会社の歩みを紹介されている「日植記念館」を見学させていただきました。グループの中核企業である日本植生の緑化事業は、創業者の強い思いから始まっているのですね

柴田 創業者・柴田正まさしは16 歳で海軍に志願し、壮烈な激戦が繰り広げられたミッドウェー海戦にも従軍しました。終戦後、帰郷する道中で日本の荒廃した国土を目にして、大きなショックを受けたようです。農家の長男であり、食糧難の時代でしたから、米や野菜を作っていた方が生活はずっとよくなっていたでしょうが、日本の国土を復興したいという思いで、畑で苗木を育てて販売を始めました。それが日本植生の前身である柴田農園の創業で、当社の緑化事業の原点になっています。

—— 創業者の人柄や経営はどのようなものでしたか。

柴田 アイデアマンであり、先見性と非常に強いリーダーシップを持った経営者でした。1956 年に治山部を設け、のり面の緑化保護工事などを手掛け始めた際、群馬県の前橋営林局の方が考案された「植生盤」による土壌保全工法に出会いました。創業者はその画期的な工法を導入するために、岡山県の津山から前橋に5 年間通いつめ、植生盤利用の了承をいただきました。植生盤を使って全国で工事を展開するようになると、社員が何カ月も家族と離れることになります。それは良くないと、植生盤を現場で作るのではなく、津山で製品化し、各地の代理店を通じて販売し、現地の施工会社が工事をできるように変えました。これによって、社員は何カ月も家庭を留守にすることはなくなりますし、現地の代理店や施工会社にも収益をもたらします。自社だけ大きくなって儲けるのではなく、「三方よし」の経営を基本にしました。
 1961 年に日本植生を設立し、人工芝などさまざまな製品・工法を開発していきますが、初期の特許のほとんどは創業者のアイデアから生まれたものです。ビジネスモデルにおいても、製品開発においても、次々とアイデアを生み出し、社員を引っ張っていきました。当社の社是である「誠せいねつ熱」は、「誠意」と「熱情」を持って事に当たるという意味で、これも創業者の造語です。まさに「誠熱」を自ら体現したリーダーでした。


社員とその家族を守ることが
企業の使命


—— 創業者が作られた経営理念は、多岐にわたる事業を展開されるグループ企業になっても、経営の根本として受け継がれていると伺っています。それはどのようなものですか。

柴田 どんな会議の席でも、創業者がまず話したのは、「国家と企業と家庭の一体化経営」です。国家が安泰でなければ、企業も安定しないし、家庭の平和と幸福もない。国家と企業と家庭を不可分な一体のものとして経営に取り組む。つまり、企業は社員とその家庭を守り、社員は企業と国家に貢献するために働くということです。
 社員とその家庭を守ることが企業の使命ですから、当社は創業以来一度もリストラしたことがありません。

—— そうした経営を承継していくもう一つの基本になっているのが、「人づくり」「物づくり」「顧客づくり」の「三づくり経営」ですね。

柴田 「人づくり」は、社員はそれぞれの家庭から預かった「財たから」であるという考えを基本にし、当社は創業当時から「人財」と表記し、大切に育成してきました。新入社員には、理念研修をはじめとした約2カ月の研修を行い、毎年のボトムアップ研修、20 歳代・30歳代を中心にした階層別研修、また、資格取得制度も設けています。社員の誕生日には、線香と菓子を贈ります。
線香と菓子を持って親を訪ね、自分を育ててくれた親の恩を忘れずにして欲しいという意味を込めています。年末には、パートさんも含めたグループの全社員に、お歳暮として鮭を贈ります。これも社員を支えてくれている家庭への感謝の気持ちを込めたものです。
 「物づくり」は技術開発です。これも創業以来、一貫して取り組んできました。日本植生だけで特許権 125 件をはじめ、実用新案権・意匠権・商標権など合計 320 件の知的財産権があります。私は、日本植生グループは少数精鋭の技術者集団であるべきだと考え、提案制度、発明報奨制度を設けて、技術開発に注力しています。他社が真似をするような素晴しい製品を作ることが当社の目標であり、人財と技術で業界のトップを目指しています。既に緑化事業をはじめとして、多くの事業で業界トップを実現しています。
 「顧客づくり」は先ほど述べた「三方よし」の経営を基本に、「日植ファン」づくりに努力しています。顧客である代理店だけでなく仕入先、同業者などとも親睦会や協力会などの組織づくりを促進し、一緒になって市場開発に取り組んでいます。


M&A のポイントは
公共事業からの脱却と
「拡本業」分野であること

—— 1996 年に日本植生の3 代目社長に就任されました。その時の会社の状況はいかがでしたか。

柴田 私が社長に就任したのは、バブル崩壊後の不況真っただ中の時期でした。公共事業の予算が毎年削減され、緑化事業を主体とした日本植生の売上はピークの60%まで落ち込みました。ただ、そんな状況でも赤字にはならない。それは創業以来の「三づくり経営」の成果でもあるのですが、私は社長として、このままでは「ゆでガエル」になるという危機感を抱いていました。
 雇用を守っていくには新しい事業の柱が必要だと考えていた時、取引があった大手ゴムメーカーから、陸上競技場やサッカー場などスポーツ施設の設計・施工をしている子会社の経営を引き継いでもらえないか、という話が来ました。もともと当社が持っていた特許の使用権と引き換えに、そのゴムメーカーの人工芝を施工する中国地方での営業権を持っていて、岡山県ではテニスコートをはじめとして多くの実績が当社にはありました。引き取って欲しいという会社は赤字でしたが、当社の事業はしっかりと収益をあげていたので、黒字にできるという自信がありました。私と経理担当で交渉し、会社を引き受けることを決めました。あとで、公認会計士の先生から「M&Aの言葉も知らない素人二人が行って会社の買収を決めるなんて、何を考えているんだ」と怒られました( 笑)。それが日本フィールドシステム株式会社で、現在では一人当たりの営業利益が当社グループでトップの業績をあげる優良企業になっています。
 その後、2004 年から2010 年にかけて、創業250 年以上という農業資材販売の老舗の井上商事株式会社、繊維ロープ・産業資材・環境緑化製品を製造・販売している株式会社テザック、ゴルフ場の備中高原北房カントリー倶楽部などをM&Aしました。
農業資材販売の事業は、その後にM&Aした2 社と統合して日植アグリ株式会社になっています。

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日本植生グループ本社で運営している備中高原北房カントリー倶楽部

—— M&Aに積極的に取り組む背景には、どのような経営戦略があるのでしょうか。

柴田 よく言われるように、M&Aの最大のメリットは時間を買うことです。
公共事業への依存度が高い緑化事業を本業とする当社にとっては、民需を主体とした新しい収益の柱を生み出すことが喫緊の課題でした。民需・官需のバランスの取れた企業グループにするための、時間を短縮する手段の一つがM&Aだったのです。
 そのためM&Aに際して考えるのは、公共事業からの脱却につながるか、M&A 先の社員をリストラしないで事業を継続していけるか、本業と関連する分野であるかの3 点です。私はこれを「拡本業」分野と言っていますが、本業の周辺の領域であればグループで人事交流ができますし、新たな販売チャネルの開拓や商品開発につながるシナジー効果も期待できます。

—— M&A 先の会社は、どのように変えていかれるのでしょうか。

柴田 M&Aが決まったら、私がその会社の全拠点を回り、リストラはしない、雇用を守るという日本植生グループの考え方を社員の皆さんに直接伝えます。経営陣についても当社グループから落下傘方式で役員を送り込むことは基本的には考えず、プロパーの方を中心にした経営陣で運営してもらいます。
 グループとして融合を図るために、幹部には当社グループの経営理念をしっかりと理解した上で実践してもらいますが、一般社員の方には経営理念を押し付けることはしません。それぞれの会社には長い歴史がありますし、無理に変えるべきではないと考えています。当社グループの経営理念は、幹部のトップと新入社員のボトムの両方から、時間をかけて自然に理解してもらえるようにしています。

 
次の社長が思い切った
経営ができる基盤をつくる

—— 柴田社長が経営に当たって最も大切にされていることは何でしょう。

柴田 私は企業には「不変」と「可変」があると考えています。「不変」は創業以来ずっと受け継いできた理念です。
これを変えてしまっては、社員に言っていたことが嘘になってしまいますから、絶対に変えない。それに対して、M&Aで事業の多角化を図ったり、グループ全体の意思決定やグループ会社への指導を実施するグループ本社を設立するなど、時代に即した改革は「可変」の対応です。その「可変」の対応も、根本にあるのは「社員とその家族を守る」という「不変」の理念です。
 M&Aに際しても、創業以来「5 年や10 年間は社員を養えるだけの手元資金を厚くしておく」という「不変」の考えがあったおかげで、潤沢な自己資金を用いて、思い切った投資をすることができました。
 「不変」の理念を守るために、どんな「可変」の対応をするべきかを常に考え実践していくこと。それが、経営者にとって一番大切なことだと思います。

—— 2017 年に温室水耕栽培でボストンレタス(サラダ菜)を製造・販売している株式会社日本農園がグループ入りされました。ブドウ栽培や稲作に取り組まれるなど、近年は農業事業にも注力されています。その狙いは何でしょうか。

柴田 日本農園はボストンレタスを1日約2 万株栽培し、西日本地区の食品スーパーなどと取引しています。生産余力はまだあるので関東市場への販路を広げるため、鮮度が落ちない遠距離輸送方法などに取り組んでいます。ブドウは出荷時期を伸ばす独自の低温貯蔵技術でクリスマスシーズンに合わせて海外に輸出したり、稲作は自前のライスセンターを設けるなどの取り組みをしています。ブドウ栽培や稲作は規模としてはまだ小さいですが、農家の皆さんの注目を集めており、グループの日植アグリとも連携することで、さらなる事業の拡大を目指しています。また、雇用が延長されるなかで、農業事業は高齢者の雇用の受け皿としても活用できるのではないかと考えています。

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日本農園のボストンレタス栽培プラント

—— 日本植生グループとしての事業展望は、どのように描いておられますか。

柴田 グループ本社の役割や機能は、各事業会社には迷惑をかけずに新しい事業の基盤をつくっていくことです。環境緑化、スポーツ施設、繊維ロープ製品、産業資材、農業関連など何本かの事業の柱が立っていますが、「拡本業」となる新しい柱をもう1、2 本は立ち上げていきたい。そうすれば、どこかが傾いても、間違いなく雇用を受け入れられる安定した企業グループができると考えています。次の社長が思い切った経営ができる更に盤石な企業グループの基盤をつくり、経営をバトンタッチしたいですね。

—— 最後に、投資育成会社のご感想などをお聞かせください。

柴田 岡山県の投資先1 番目の企業として1968 年に投資をいただきましたから、今年でちょうど50 年になります。日本植生を設立してから7 年目のことで、当時は全国に販路を広げている真っただ中でした。投資育成会社から投資を受けている企業なら安心だと、各地の取引がスムーズに運びました。投資育成会社の信用力が、当社の拡販の原動力になったことは間違いありません。
 私自身では、投資育成会社さんが開講されている後継者交流のためのビジネススクールに参加させていただきました。今もその時の参加者の皆さんとは、年輪会などで交流が続いています。私の息子たちも(日本植生株式会社社長・柴田明典氏、日植アグリ株式会社社長・柴田洋志氏)も後継者交流コース「新輪会」に参加しましたので、親子2 代でお世話になっています。岡山年輪会の活動も盛んで、それぞれの会社さんの新しい取り組みを伺うことは、経営者として大きな刺激になっています。

長時間にわたり、貴重なお話をありがとうございました。


企業には「不変」と「可変」があり、
「不変」の理念を守るために、
どんな「可変」の対応をするべきかを
考えることが、一番大切。


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P r o f i l e
1948年岡山県生まれ。1970年駒澤大学法学部を卒業後、森紙業株式会社入社。1974年日本植生株式会社入社。1982年取締役に就任。以後、常務、専務を経て1996年代表取締役社長に就任。2008年、株式会社日本植生グループ本社の代表取締役社長に就任し、現在に至る。

PICK UP
日植記念館
日本植生の前身である柴田農園の創業30年、日本植生の創立20周年の記念事業として1981年に本社の敷地内に建てられた。建物の正面には、戦艦陸奥から引き上げられた連装高角砲の実物が展示され、通称「海軍記念館」とも呼ばれる。館内には創業者精神と創業期の資料を展示する「会社コーナー」、海軍ゆかりの資料を展示する「海軍コーナー」、日本の歴史伝統を正しく後世に伝えるための「御皇室コーナー」がある。

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日植記念館全景

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館内(海軍コーナー)

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植生神社

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日植研修道場



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