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コロナ禍における「攻める営業」とは| 株式会社 コンサス

1989年、創業者の土井啓介氏が、勤務していたバルブメーカーが安全弁の製造に特化する際に、縮小される事業を譲り受けて設立したのが株式会社コンサスだ。当初は勤務先だったメーカーの台湾向け輸出総代理業務を引き継ぎスタートしたが、急速に進む円高等の苦難を乗り越えるべく、再びバルブに専念しようと原点回帰を決意。ステンレス製バルブの製造とその品質管理を手がけるため、1996年に台湾に最初の自社工場を設立した。
現在は、医薬品や食品など厳しい衛生管理が求められる場所で使われるサニタリー継手や、海外規格の継手を国内で使用する場合の変換継手など特殊継手の領域で“オンリーワン”の地位を築いている。コロナ禍にあっても新規顧客を増やしている同社の新たな営業手法について土井靖士社長に伺った。

得意先の裾野を大きく広げようと自社独自のECサイトを開設

コロナ禍における「攻める営業」とは| 株式会社 コンサス
代表取締役社長
土井 靖士氏
1964年生まれ。大阪府出身。1994年に株式会社エフケーアイコンサス(現在の株式会社コンサス)入社。1998年専務取締役を経て、2011年に代表取締役社長に就任。

コロナ禍における「攻める営業」とは| 株式会社 コンサス
本社

会社概要
所在地  大阪市住之江区新北島7-1-82
     TEL 06-6681-5034
設立   1989年5月
従業員数 65名
資本金  4,000万円
年商   13億円(’20/10 期) 
事業内容 ステンレス製バルブ・各種バルブ及び付属品の製造・販売、配管用機材・ステンレス鋳鋼品・ポンプ並びに産業用機械販売
U R L   https://www.consuss.co.jp


歴史の浅い後発メーカーであることを強みにニッチな領域を攻める

 配管と配管をつなぎ合わせるための継手などは、水道やガスなどの生活インフラに欠かせないパーツであり、戦後間もなく復興を目指していた頃に急成長を遂げた業界だ。メーカー、代理店、販売店という流通網もその当時に確立されており、社会インフラがほぼ整備されて、かつてほど大きな需要も見込めない今日では、新規参入がなかなか難しい業界となっている。

 そこに1996年からメーカーとして参入したコンサス。長い歴史を持つ競合メーカーが多いなか、土井社長は「歴史がないのが、当社の強みです。平成生まれのバルブメーカーは当社だけじゃないでしょうか。バルブや継手などは社会から絶対になくならないものですが、爆発的に売れるものでもない。新規参入する企業が少ないのは、それだけ魅力がない市場だともいえます。その中でも一般的なバルブなどは現在でも何十億円、何百億円の市場がありますが、ここで1%のシェアを取るのは大変なエネルギーが必要です。当社は、たとえ1%のお客様にしか求められない領域でも、そこでのオンリーワンを目指しています」と語る。

「MADE WITH JAPAN」を掲げて、高品質とリーズナブルを両立

 そもそも同社のメーカーとしてのスタートがユニークだ。今日、海外に生産拠点を置くものづくり企業の多くは、国内生産ではコストが高く、販売価格に見合わなくなったことが理由だが、同社の場合、最初から台湾で製造を開始しており、その後、短納期への対応や高度な製品開発といったニーズに応えるために国内に工場を設立し、協力会社のネットワークも拡充させてきた。日本のものづくりの「高品質」と海外生産による「リーズナブル」の両立を図っているのが、同社の掲げる「MADE WITH JAPAN」のものづくりとなっている。

コロナ禍における「攻める営業」とは| 株式会社 コンサス
台湾工場とも往来できなくなったが、WEB会議を定例化することで、より深く協議したり情報も共有したりできた。

 後発メーカーゆえに、当初、既存の流通システムから相手にされなかったというコンサスは、直接エンドユーザーへ営業を行い、小さなパーツでも自社ブランドで販売してきた。得意先の現場を直接知っていることで、顧客の小さなニーズをも見逃さずキャッチし、それが同社のものづくり「『あったらいいな』がここにある」に反映されている。

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同社が得意とするサニタリーバルブ。顧客の「あったらいいな」が製品化されている。

 営業活動については、「金額や量ではなく“配架”である」というのが土井社長の持論。かつて自身が勤務していたP&Gで営業を担当していた時に、テレビCMを見て製品に興味を持ってもらえても、近所の店に置いていなかったら意味がない。一軒あたりの取引量よりも、取り扱い店舗数の拡大に注力させられたという体験から来るものだ。同社においても「ニッチな領域で成長するためには、まず広く根を張る、つまり裾野を広げることが必要だ」と土井社長は考えている。そこで最初に着目したのがホームページだった。

コロナ禍における「攻める営業」とは| 株式会社 コンサス
コンサスのECサイトの製品ページ。ユニークなのは、旧モデルの製品などをアウトレット価格で販売している。

「営業とは“配架”だ」の持論を具現化したECサイトを新設

 約10年前、土井社長がある勉強会で「企業は成長すれば金融資産とともに情報資産を得られるが、良い情報資産こそオープンにして活用すべきだ」という話を聞き、目から鱗が落ちたという。「それまで公開していなかったCAD図面や開発の背景などを、当社のサイトで登録いただいているお客様に開示するよう、ホームページを見直しました。どの企業がどの製品を検索されたかのデータも当社に残ります。良い製品を作って自社で直接ユーザーにアピールできれば、既存の流通システムから外れていても購入していただける。IT化の波は、当社の追い風となりましたね」。

 そして今日、対面による営業活動が制限されるコロナ禍で新たに整備したのが同社独自のECサイトだ。「まさに裾野を広げる“配架”を目的としたもので、このサイトで数多く売ろうと思っていないんです。まず、当社の新製品をアピールすること、それから別注品などの価格を知っていただくことがねらいです」。実際、このコロナ禍でも数十件の新規得意先を獲得し続けている。

 最近では、新型コロナワクチンの開発に携わっている某大手製薬会社から、変換継手の引き合いが来た。海外製タンクにつなぐためのもので、このような必要不可欠なものを供給できたのはECサイト新設の大きな成果だ。

コロナ後の営業力とは、誠実な対応によるファン作り

 「新型コロナウイルスの収束後も、営業マンの訪問活動というスタイルはなくなっていくのではと思っています。高品質で人気のブランド製品は営業マンがいなくてもよく売れているでしょう。今後は、問い合わせがあった時やトラブルがあった時、そしてアフターサービスを含めての誠実な対応が、その企業の“営業力”になるのではないでしょうか」。一方で、顔の見えるコミュニケーションも大切にしたいと、このコロナ禍で訪問できなくなった流通業者に、あらためて製品カタログと価格表を、社長と担当者の顔写真付きメッセージを添えて送った。新年の挨拶も得意先に直接訪問できないため、同社オリジナルの和菓子セットをやはりメッセージを添えて送っている。「仕入先や協力工場にも送ったんですよ。売上を稼ぐのは得意先からですが、利益を出してくれるのは仕入先や外注先の協力あってなので」。

 昨春、新型コロナウイルス感染症の第1波の時には、リーマンショックの再来かと覚悟を決めた。稲盛和夫氏が提唱する「不況に備える7つの心構え」を実践しようと、各部門に振り分け、例えば「新製品開発に全力を尽くす」を担当した技術部門では、この1年半ですでに数アイテムの新製品を開発し発売している。

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コロナ禍で週休3日制にしたため、交代で休めるように担当外の工作機械も操作できるようになった。

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「コロナ禍で時間にゆとりのある今こそ、しっかり目を通してもらえる」と流通業者に顔写真入り挨拶状を添えてカタログを送ったほか、業界新聞にも積極的に広告を掲載した。その結果、新規顧客の獲得や休眠得意先の掘り起こしにつながった。

 「新型コロナウイルス感染症の影響で一昨年より売上は落ちているものの、裾野の広がりと社員一人ひとりのスキルが多能化していることを実感しています」。土井社長は、コロナ後には大きな成果につながることを確信している。

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