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地域と生きる、地域に活かす| 株式会社 ボークス

1972年、当時24歳だった重田英行社長が、京都府京都市上京区で7坪の航空機プラモデル専門店からスタートし創業50年を迎える株式会社ボークス。今や、全国15カ所に直営店などを展開しているほか、海外はアメリカにも支店を置く大手模型造形メーカーに成長している。

なかでも、多くの女性ファンを獲得しているのが、カスタマイズ・ドール「スーパードルフィー」。その生まれ里として2004年に誕生した「天使の里 霞中庵(かちゅうあん)」は、地元京都市民の大きな悲願のなか実現したものだ。

「天使の里」が誕生するまでの経緯や、同施設が地域にもたらした意義を重田社長に伺った。

京都市民2万人の悲願を受けて、名園「霞中庵」を現状のまま活用

地域と生きる、地域に活かす| 株式会社 ボークス
株式会社 ボークス
代表取締役社長
重田 英行氏
1947年生まれ。京都府出身。1972年京都市上京区で「プラモデルショップ ボークス」を創業。1980年株式会社ボークスを設立、代表取締役社長に就任。以来50年間にわたって模型ホビー業界を牽引。現在に至る。

地域と生きる、地域に活かす| 株式会社 ボークス
所在地  京都府京都市下京区七条御所ノ内中町60
     TEL 075-325-1171
設立   1980年9月
従業員数 360名(グループ合計)
資本金  9,800万円
年商   80億円(’ 21/5期 グループ合計)
事業内容 模型・ホビー商品の企画・開発・製造・販売
U R L   https://www.volks.co.jp

閑静な奥嵯峨に誕生したスーパードルフィーの生まれ里

 大勢の観光客で賑わう嵐山から北へ向かった奥嵯峨と呼ばれる一帯は、愛宕山を前にして、皇室ゆかりの大覚寺をはじめ、かつての貴族たちが別邸を置いた閑静な地だ。そこに、ボークスのスーパードルフィー(以下、SD)の美術館「天使の里 霞中庵」がある。


地域と生きる、地域に活かす| 株式会社 ボークス
ドルフィーのオーナーとその家族は、無料で「天使の里 霞中庵」に入館できる(要予約)。

 重厚な和風の門をくぐって驚くのは、約3,000坪もの回遊式庭園だ。庭師による丹念な手入れの行き届いた美しい風景が、数寄屋造りの粋を集めた茶室とともに、落ち着いた佇まいを醸している。一方、「天使の里」の館内は、全フロアーでファンタジックなSDの世界が展開されている。“オーナー”と呼ばれるSDのユーザーたちにとっては、ここは自分の分身ともいえるSDの生まれ里であり、SDのオーナーなら必ず訪ねたい聖地となっている。

 ここになぜ「天使の里」が開設されたのか。その経緯を紹介する前に、まずオーナーたちにとってSDという存在の意味を理解する必要があるだろう。

7坪のプラモデル専門店からガレージキットで大きく飛躍

 創業当初はプラモデルの専門店だったボークス。
 当時を振り返って、重田社長は「私の趣味の延長として始めた、たった7坪のプラモデル店が最初です。当時、プラモデルや模型は、文具店やおもちゃ屋が商材の一部として販売しており、当店のような専門店は珍しかったと思います。しかも、最初は私の好きな航空機しか扱っていませんでしたから。競合店がまわりに十数店もあるなかで、問屋さんのルート販売に乗せてもらえず、商品の仕入れのために東京や名古屋、大阪の問屋街に車を走らせました」と語る。

 その後、1970年代の石油ショックによる危機も何とか乗り越えた同社に大きな転機が訪れたのは、ガレージキットとの出会いだった。大手メーカーで大量生産されている模型とは別に、一部の愛好家たちが自分たちで怪獣や特撮ヒーローなどのキャラクターを製作し、楽しんでいたのである。

 「怪獣やスーパーヒーローを売り出そうと著作権の利用許可を得るために、映画の配給会社に単身乗り込んだりもしました。先方には呆れられましたが、『京都には太秦の撮影所でお世話になっているから』と許可をいただき、その大手映画会社のお墨付きをもらったことで、他の有名プロダクションの著作権も次々とクリアでき、多くのスーパーヒーローたちのフィギュア製作が実現できたんです」。
 この頃の顧客の多くが現在、造形スタッフとして同社で活躍している。

地域と生きる、地域に活かす| 株式会社 ボークス
ボークスグループの原型製作部門として誕生した「造形村」。航空機など本格的スケールモデルを手がける。

カスタマイズ・ドールで女性たちもホビーの世界へ

 やがて、ガレージキットの宿命ともいうべき課題にぶつかった。金属金型の射出成形で大量生産されるプラモデルと異なり、レジンキャストと呼ばれる少量生産方式のガレージキットは1つの型から50個しか作れないため売るべき商材がすぐに店頭から消えた。

 そこで、新たな商材として着目したのがドールだった。ホビーの世界に新たなターゲットとして女性たちも迎え入れようという狙いもあった。

 最初は何も身につけていないボディだけを販売したが、失敗に終わったことから、重田社長はドールの物語を作り、単なる人形ではない人格化されたものとしてドールに命を吹き込んだ。瞳や髪の色、メイクなどが自由に選べるカスタマイズ・ドールは、フィギュアとドールの中間にあるということで「ドルフィー」と命名され、女性たちに爆発的に売れた。その後、60cmもあるSDも誕生している。

 「『ドルフィーはもう一人のあなた』というSDのコンセプトにより、オーナーさんたちはSDを自分の分身として熱い思い入れを持つようになり、『この子たちはどこで生まれて私の元へ来たのだろう?』と故郷を気にするようになりました。工房で製造されたというのでは夢がなく、京都のどこかにSDの生まれ里を作ろうと探していたところ、競売物件として出されていた竹内 栖鳳(たけうち せいほう)記念館を紹介されたのです」。

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ドルフィーのオーナーたちが自主的に行っていた「お茶会」をきっかけに始まった「ドールズパーティー」。国内最大級のイベントホールに全国から何千人と集まってくる。

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アニメやゲーム、漫画の二次元キャラクターをドールに仕立てた「ドルフィードリーム」。ボディパーツをカスタマイズできる。

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ボークスが独自に開発した「スーパードルフィー」。衣装などはもちろん、パーツの選択やメイクを自在にカスタマイズできる。

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ボークスのメカアクションブロックトイを美少女プラキットとして表現した「ブロッカーズFIORE」。

創作造形 造形村/ボークス
スーパードルフィーRは株式会社ボークスの登録商標です。
ドルフィードリームRは株式会社ボークスの登録商標です。


地域の熱い思いを受けて草木1本さわらず保存を

 近代日本画家の巨匠として知られる竹内栖鳳が、大正初期に別邸として建てた「霞中庵」は、栖鳳自らが6年の歳月をかけて作り上げたもので、記念館には栖鳳をはじめ、小野竹喬(おのちっきょう)や上村松園(うえむらしょうえん)といった著名な画家たちの作品が数多く収蔵されていた。競売にかけられたことで取り壊される恐れもあり、地元の京都市右京区をはじめ、中京区、下京区の住民たちから保存を請願する2万通の署名が裁判所に提出された。それを受け、管財人を務める弁護士たちも、現状のままで継承してくれる売却先を探していたのだ。

 「売却基準価格が、当時の年商ほどの金額でした。冷やかしのつもりが、管財人たちが当社に購入されることを強く望んでいることがわかりましたし、署名された2万人の思いも大きいですよね。もちろん、社内からも金融機関にも懸念されました。しかし、現地を案内すると、誰もがここを残さなければという気持ちになったのです。銀行の支店長も力になると言ってくれました。結局、庭の草木一つさわらず、手入れも怠らないという条件を提示した当社が、収蔵庫の70点ほどの絵画もあわせて落札しました」。

 SDの生まれ里として、霞中庵は栖鳳が作ったままに次世代に継承されることとなり、全国はもちろん、コロナ前は海外からも多くの人が「天使の里」を目的に京都を訪れ、ここを拠点に周辺の観光地も巡って帰っている。

 また、同社は難病と闘う子どもたちの夢を叶える「メイク・ア・ウイッシュ」活動にも参加しており、「天使の里」への訪問を望んだ子どもたちの願いにも応えてきた。将来的には、作品の展示・販売の機会が少ない若手工芸作家を支援したいと語る重田社長。何より、ものづくりを大切に思う気持ちは、50年前の創業時から変わっていない。




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